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2025年(令和7年)4月
生長の家広島教区教化部長 橋本 定子
合掌ありがとうございます。
明るい春の日差しの中で、満開の桜が輝いています。会員の皆様には日頃より、地球社会貢献活動にご尽力いただいておりますことを心より感謝申し上げます。
3月1日の「立教96年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」において、総裁先生は「信仰者は進む」と題して、次のようにご教示くださいました。
今年は、質の良い運動へのスタートの年であり、運動の転換点でありますので、褒賞はありません。「数を上げる運動」は無理をすればできますが、「質」を達成するためには時間が必要です。そのため、私たちはこれから「3年スパンの運動」を進めていきます。続いて、『生長の家』創刊号(49頁)の中から、「生長の家の歌(詩)」―「若きと老いたるを問わず 青年よ、夢を描け。蜃気樓よりも大いなる夢を。夢はあなたの肉體を超えて虚空にひろがり、ひろくひろく宇宙にひろがる雲となって、あなたをより高き世界へあま翔けらす 大いなる翼となるであらう。・・・」を紹介くださり、ここに、今日の運動の「萌芽」があると言われました。
創始者・谷口雅春先生と輝子先生の人類光明化運動の夢は、決して夢と希望に満ちたもので始まったのではなかったのです。昭和5年、お二人で生長の家を始められましたが、運動資金を作るため、雅春先生は昼はオイルカンパニーで翻訳の仕事をしながら、夜は執筆活動を続けるという生活を続けておられました。その間、二回も泥棒に入られ、せっかく貯まった資金を持っていかれて、これではいつになったら生長の家の人類光明化運動が始められるのかと、途方にくれ、失望落胆しておられた時、「今、起て」という神様の啓示を受けて、心新たに決意し、生長の火をかざして人類の前に起たれたのです。こうして生長の家は、お二人の一千部の『生長の家』誌の文書伝道から始まり、多くの人々に伝えられ、御教えが拡がっていきました。もし、お二人が「人類を救おう」という偉大な夢を描き、困難に直面しても断固として立ち上がり、行動されておられなかったら、「生長の家」は出現していなかったのです。神を信じて、人類を救いたいという強い決意をもって行動されたから「生長の家」は出現したのですと、「実在の現象化」「新実在の出現」を説かれました。
そして、最後に、私たちの運動も、人々の毀誉褒貶(きよほうへん)に動じないで、「犀の角の独り進むごと歩む」というお釈迦様の教えのように、人々の悪口やお世辞、世間の評判に動じないで、常に前を向いて「神・自然・人間は本来一体」の自覚を持った人を増やしていく、そういう「質の高い運動」を目指していきましょう、と結ばれました。
広島教区も今年から3年スパンの運動を進めていきますが、これからも教区行事としてオープン食堂や自然の恵みフェスタを開催し、会員一人一人が日常でできるところから地球社会貢献活動を積み重ねて、生長の家の「布教・環境方針」に明示されているように、生長の家の運動の透明性と信頼性を内外に示して楽しく活動していきましょう。再拝