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2024年(令和6年)7月

生長の家広島教区教化部長 橋本 定子

 合掌 ありがとうございます。
 日頃より、会員の皆様には生長の家の運動をよくご理解いただき、明るく喜びをもって各種行事に取り組んでいただいておりますことを心より感謝申し上げます。今年の梅雨入りは少し遅れているようですが、恵みの雨に感謝するとともに日本国内で大きな災害が起きませんようお祈りいたします。
 ところで、白鳩会では総連ごとに毎月の取り組みを決めて、「一汁一飯」、「クリーン・ウォーキング」、「俳句作り」等をして、FB「みんなきんさい『喜びの広島教区』」に投稿してくださるので、総連の活動がよく分かり、楽しく拝見させていただいています。特に、俳句の投稿は作者の喜びや感動、感謝の気持ちなどを皆で共有できることが、とても素晴らしいと思います。
 そこで4月号に続いて「俳句の勧め」第2弾です。
 日本列島は比較的温暖な気候のもとに、2000年以上、縄文時代を入れると1万年以上もの間、人間が生活してきたので、自然界と密着した文化が豊かに育ってきました。それは季節の循環に合わせて、それと同時に、自然界の変化に合わせて生活してきた日本人の文化です。この多様な自然界の変化と、その変化に対応して生きる人間の生活を言葉であらわしたものが季語です。
 俳句の背後には、自然界とその変化が大きな前提として横たわっています。自然の変化に伴って、人間の心や生活は変化するという事実を押さえておかなければ、俳句をつくることはできません。つまり、俳句を作るためには、自然界を意識し、自然と自分との関係を意識することが必要で、「季語」は、自然と人間とが密接につながる重要な接点となります。
 生長の家では神のことを「隠れ身」や「真・善・美」と教わっています。「隠れ身」の神が俳句で詠われることは少なくありませんし、自然の中に真・善・美を観ることは神を観ることに通じます。このように、日本で生まれた俳句という文学は、私たちの信仰と大きく重なり合うところがあります。それは「人間は自然と一体」という考え方、あるいはその前提です。総裁先生は「神・自然・人間は本来一体」の普遍的真理を言葉で表し、定着させる(自覚を深める)方法として俳句を作ることをお勧めくださいました。
 神想観は、抽象的、概念的でマンネリ化に陥りやすい行ですが、マンネリ化に陥らないためには、抽象的に観念として神を想うだけでなく一種の具体性が必要で、神との繋がりを自覚するために(神という言葉は使わなくても)俳句はとても良いと思います。俳句を作る時、「神はどこにあるか?」を意識し、私たちの生活と結び付いた「真・善・美」や「神・自然・人間の一体性」を見つけ出し、季語を使って17音で表現していけば、それが神想観の補助行となります。大いに俳句を作って、皆で喜びや感動を共有していきましょう!再拝

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